原爆投下から66年。
いつのことかは覚えていないけれど、大沢たかおさんと石原さとみさんが出ていたドキュメンタリーをみたときだったか、原爆を落とした飛行機に乗っていた元米兵の方の話を聞きました。そのとき、もちろん日本に対して謝罪の言葉を述べる人もいたけれど、ある方がこういっていたのを覚えています。「僕たちは日本がこれ以上戦争を続けないようにしてあげたんだ」
実行した人たちは原爆を落とすように指令された訳なので、別に原爆を落とした人だけが悪いと言っている訳ではないのだけれど、「俺は悪くない」という態度の中に、責任放棄というか、忘れてしまえば良いというか、どこか自分とは関係ない遠くの星で起きたことのように言われて、寂しかったです。原爆投下は「仕方がなかった」と言う人たちも多いけれど、それって、被爆者は「死ね、と思われても仕方ないことをした」ということなのかな。違うと思うけどな。

4年ほど前の「夕凪の街 桜の国」という、ハープの奏でる挿入曲が感じのいい映画を観ました。戦争が終わって、サヴァイヴァーズギルトを背負いながらも、やっと生きようと思っていた人々を蝕んでいった原爆症。「原爆は落ちたんじゃない、落とされたのよ」という主人公の皆実の言葉を聞いてはっとしました。
「嬉しい? 十年経ったけど 原爆を落とした人はわたしを見て『やった! またひとり殺せた』とちゃんと思うてくれとる?」
麻生久美子の柔らかく、でも淡々とした口調で語られる上の台詞。これを聞いたとき、それは誰かに憎まれた、死んでしまえばいいと思われた、そういう現実を日本も体験したということに改めて気付かされました。何だか主人公が「自分が憎まれて殺されるのなら、そこには意味があるでしょう?」と言っているようで、「自分の死を無駄とは思いたくない」という、当たり前の人間的感情があふれていて、本当に切なかったです。
高校2年生のときに修学旅行で長崎に行き、原爆記念館を回ったあと、ある老人ホームで被爆者の方たちの話を聞く機会に恵まれました。彼らの言葉には悔しさや悲しさや苦しみが詰まっていて、感想なんてきかれても、言葉がでてきませんでした。だって体験していない私たちに、どんな慰めの言葉を口にるの?
でも体験していないとはいえ、原爆の恐ろしさを語れるのは日本だけ。若い世代の私たちがもっとそのことを理解して、きちんと語り継がなければいけないんだなと思います。でも誰かを恨むことを教えるのではなくて(この場合は「国」だけど)、この先どうするべきなのかを一緒に考えられる人でいたいと思うのです。
平気で「死ね」と言って笑う人が溢れる現代。日本は大災害や被爆をたくさん体験している国なのに、どうしてそういった言葉を軽く口にすることができるんだろう。
原爆のことも勿論だし、阪神のことも、この震災のことも、リビアでの戦争のことについても、本当にいろいろ考えます。「歴史は繰り返す」ではなく「歴史で学ぶ」ということを、世界はずっと昔に実行していなければならなかったのにね。

Rest in peace.